このページでは国際NGOで働く方へのインタビューを掲載します。
初回は私達がボランティアとして団体発足当時から関わっている、C-Rihgts代表理事の甲斐田万智子さんです。

interview

●甲斐田万智子

1983年に上智大学卒業後、日本ユニセフ協会で勤務。1989年イギリス・サセックス大学開発学修士課程を修了後、インド、ブータンに滞在しながら貧困女性や子ども、NGOについて研究。1996年、国際子ども権利センター・大阪事務所に勤務。1999年から横浜・東京事務所に勤務した後、2003年にカンボジア事務所を開設。子どもの人身売買、児童労働の問題に取り組む。2007年8月から3年間バンコクに滞在。帰国後、東京を中心に活動。

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2012/01/16

野尻(以下野):「送っていただいた経歴やプロフィールを読んだんですけれども、大学時代はどのような活動、どのようなことをされていたんですか?」

 「『国際協力を仕事として』という本にも書いてあるのですが、そもそもボランティア活動を始めたきっかけは、大学2年生の終わりごろに犬養道子さんの講演会を聞いたことでした。講演会の教室を出たらキャンパスでちょうどUNICEFのボランティア活動をしている学生サークルがブースを出していて、すぐにそこに入りました。そこで募金活動をしていたんですけれども、ちょうどアフリカの飢餓が深刻な時で、本当にその募金をすることだけでアフリカの飢餓の問題が解決するんだろうかということを疑問に感じるようになりました。そんなとき、ちょうどスーザン・ジョージの書いた、『なぜ世界の半分が飢えるのか』という本に出会いました。飢えの問題が必ずしも旱魃など自然の要因ではなく、構造的に不平等な世界構造が要因だと書かれているものでした。アグリビジネスなどについても書いてあるので、農学部のみなさんには関係があるので※1、ぜひ読んでもらいたいと思うのですけれども、食糧が独占されていることで飢餓が生まれると書かれてあったので、じゃあその世界的に不平等な構造を変えなくてはいけないというふうに思ったんですね。
 で、じゃあそれをどういう風に出来るんだろうと思っていたら、開発教育のことを知りました。欧米では、開発教育を通じて、自分たちのライフスタイルを変えることで、世界の飢えの構造、不平等な経済構造も変えていこうとしているているんことを知ったんです。そんな大事なことをやっているんだったら開発教育に関わりたいと思って、飢えの問題の要因が北の先進国の食の独占とか不平等な構造にあるということを訴えていく活動を大学では世界食糧デーというイベントなどを通じておこなっていました。
 同時に、『アジアの友を援ける会』というサークルに入ってました。
 そのサークルはフィリピンの学校を支援していて、大学3年生の春休みにそのサークルが企画したスタディ・ツアーに参加してフィリピンのスラムと農村に行ったんですね。フィリピンのスラムでは、強制立ち退きに対して女性が反対運動をやっていてそういうたくましい女性たちとかたくましい子どもたちの姿を見て感動しました。
 開発教育というのは飢えとか貧困の根本原因を解決するというのが1つの大きな特徴ですが、もう1つの特徴として私が強調したいことがあって、それは、開発途上国と呼ばれる地域の人々から学ぶということです。よく私たちは援助していると今で言う『上から目線』みたいな感じになってしまって、援助される側の人々を知らず知らずに下に見ることがあると思うんです。でも、むしろ途上国の人たち自身から私たちが学ぶことがすごくあるんじゃないかということをフィリピンに行ったら本当に感じたんですね。私たちにないものを沢山持っている。そういう姿も是非日本で伝えたいなと思いました。そういうことを伝える教材が日本ユニセフ協会にあったんです。ちょうど私が大学3年生の時日本ユニセフ協会に就職が決まって大学4年の7月から働き始めたんですけれど。例えばアフリカのモーリタニアの少女はどんな暮らしをしているかというようなことを教える教材を学生さんに訳してもらって、それを広めて子どもたちに伝えていくような活動をすぐに始めました。

 あとは、学校募金というセクションで働いていたんですけれども、学校でやるユニセフ募金のやり方が、やっぱり上から目線というか、可哀そうな子どもたちを助けようというふうな一方的な援助活動というのにとても疑問を持ちました。子どもたちの書いたアンケートを読むと、『その途上国の子供たちに共感する』というのではなくて、やっぱり『可哀そうな子どもたちだから助けよう』というものがほとんどでした。学校の先生にもよるんでしょうけれども、『あなたたちは幸せなのよ、恵まれているのよ』といわれて募金するんだけど、募金したらお終いというような感じの募金活動がとても多かったんですね。それで、果たしてこんな募金活動でいいんだろうかという疑問がありました。そういうのではなく本当に自分たちの生活を問い直して、一緒に解決していく。お金をあげてお終いじゃなくて、私たちも先進国の人間として出来ることはいっぱいある、募金以外にも教育面での支援などあるということを伝えたいと思いました。
 あとは、やっぱり現地に行くことがとても大事だということを思っていたので、就職後に個人的に企画してスタディツアーを行いました。大学の『アジアの友を援ける会』というサークルの友達が、その後フィリピンに住みついていたので、2人で企画してフィリピンでスタディ・ツアーを一般の人に向けてやったのです。大学生の時にやっていたことというのは、そんな感じですね。」



渡辺(以下渡):「子供が可哀そうという感情を引き起こし募金をお願いするという行動は人権には配慮してはいないかもしれませんが、それで実際に資金などが集められてその可哀そうな人が助けられるなら容認してもいいのではないですか?」

「だいぶ変わってきて、それは行きつ戻りつしていると思うんですよ。ずいぶん昔ですけど、私がイギリスにいた20数年前にはイギリスのNGOでは悲惨な途上国の人たちの写真を使ったりすることを『援助ポルノグラフィ』って言ってたんですね。つまり、哀れみを招く写真を使って募金をお願いするようなことはよくないと言われていて、そのあとだいぶ自粛されていたんですけど、また最近日本では、大きなNGOでちょっと哀れみを誘うような写真を使ったりしていますよね。ただ前ほどひどくないとは思うんですよ。前はもっとひどかったんです。報道写真でソマリアでの痩せ細った子どもの写真とか出すのはしょうがないですけど、援助団体としてそれをやるのはどうなんだ、というふうに今は言われるようになったと思います。報道写真と分けて考える必要があるとは思います。」



※1 インタビューを行った6名中2名が農学部。

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